大人は汚い。そう思えた僕は一体どこへ行ったのだろうか。
僕がまだピュアボーイだったあの頃の話。僕は真っ白なシャツを着て、真っ白なブリーフを履き、ピュアの名の下にそれはそれはピュアな日々を過ごしていた。
初めてのバイトは飲食店だった。仕事、というものがまったく何か分かっていないピュアな僕は、何もかもを見るまま、言われるがままに、バカ正直に信じていた。
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今日も真っ白なブリーフにシミひとつないことを確認し、バイトにやって来た僕。先輩が、なにやらお客さん(60歳くらいのおばさん)と揉めている。なんでも、そのお客さん、目が不自由な方らしく、店の食券がうまく買えなかったらしい。この場合、こちらとしてはもちろん、間違って買った食券の払い戻しはするわけだが、そのときはどうもタイミングが悪かった。店が大混みで、そのお客さんへの対応が後手に回ってしまったのである。それでクレームが来た。クレームを食らった先輩はこう言っていた、「あのババァ、目が悪いからって、態度が悪い言い訳にはなんねーよ!」と。たしかに、そのおばさん、態度はかなり悪かった。かなりの悪態をついていた。だが、僕は思った。それでも、あくまで悪いのはこっちだ、と。ましてや目の不自由な人に対して、この先輩は何てことを言うのだと心の中で憤慨した。
それ以後、僕はそのおばさんが来るたびに、おばさんが食券を買わなくていいよう、さっと近寄り、直接オーダーを聞いた。メニューについて、言葉で詳しく説明し、目が見えなくても大丈夫なように配慮した。たとえ、それは店が大混雑であっても実行した。「店をシステマチックに回すのは二の次。まずは相手への誠意ありき。」、僕はそう信じて接客を行なった。結果、おばさんは店の常連になってくれた。僕をひいきにしてくれた。最初は「メニューが良く見えず、食券が買えない」というもののみだった要求が、やれ「御飯を大盛りにしろ」だの、やれ「ビールをおまけしろ」だの、どんどんエスカレートしていったのが気にはなったが、それでも出来る範囲内の要求には応えるように努力した。それが良い接客だと信じていた。数年後の就活活動で「接客とは?」と聞かれ、その話をしたぐらいだ。
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時は流れ昨日。僕の白ブリーフはきたなく薄汚れ、きたねぇ居酒屋で、どうしようもねぇ酒を飲んで来た深夜のこと。
僕の目の前を、そのおばさんが通り過ぎた。自転車に乗って全速力で。
…
「ちょっ…全然、見えてんじゃん!!」
大人は汚い。あの頃の僕なら、そう声高に叫んでいただろうか。でも今はそこまでは思わない。それも「大人」というものの一種の側面だろう。品は無いが、悪ではない。そのように思う。
僕は、成人はしたものの、人生と言う長いスパンで考えるならば、まだ大人と子供の境界線にいるような年齢だ。だから本当の「大人」については分からないことも多い。これから何を得、そして何を無くすのか―少しの期待と、大きな不安の中で、今も日々を過ごしている。
…
…
そうだ、
だがひとつ、ひとつだけ、僕の中で変わらぬ確かなことがあった。今まではその表面が靄に包まれており、よく見えなかったのだが、昨日でようやくその全貌を覗くことが出来た。その確かなものは、今まで見えなかっただけで、やはり昔から変わらずに僕の中に在ったのだ。
「あ、やっぱり、俺、あのババァのこと、嫌いだったんだ。」
良い接客、など所詮は自己満足の世界だ。本当にお客を愛してる人間は決してそんな言葉は使わない。

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