2008/07/05 (Sat) 親不孝宣言
2008/06/07 (Sat) 回顧主義なんて
2008/06/07 (Sat) めざまし時計
2008/05/25 (Sun) もうやだ
2008/05/17 (Sat) 笑え

いい加減アクセス数も減ってきたので更新。

当方、今日から3連休である。ああ、いつぶりだろう3連休。最高。

ゲゲゲの鬼太郎の歌のように気ままな生活を送りたいと思う一方、そうもいかないのが現実。

親も歳を取ってきて、家は僕が支えなくてはならない。思えば親には迷惑ばかりかけた。

親孝行、なんてものを最近はよく考えている。

出来るだけ親父と一緒に酒を飲む時間を増やしている。

母親にはボーナスで食事をおごってやった。

親孝行、悪くない。

毎月の生活費、その他もろもろは給料日後に母親に渡すことになっている。

今月、ちょいと忙しくてお金をおろす時間がなく、生活費を渡すのが遅れた。

そしたら母親が言った。

「あなた、もしかしてお金ないんじゃない?生活費、毎月大変だろうけど、消費者金融なんかに借りてまで入れなくていいからね。もしお金ないなら言いなさいね。」

母の優しい言葉。

そして僕は思った。



「あ、甘やかしすぎたな。」って。



いつから僕は生活費をサラ金に借りてまで渡す殊勝な息子になったんだろうか。

母よ、僕のやってきた悪行の数々を忘れたのか。

いかんいかん、調子に乗ってやがる。そろそろ鞭が必要だ。

そうだ、ここに高らかに宣言しよう。親不孝宣言を。

とりあえず、手始めに今日は家には帰ってやらないぞ。朝まで外で飲んだくれてやるぞ。

家は年老いた父と母の二人。なんて寂しく、なんて侘しい夜になるか。

ざまぁみろ、夫婦水入らずじゃないか!



今日は彼らの何度目かの結婚記念日だってさ。



人は、現実としてありえない事を想像出来ない。

よく小説や映画にて我々の現実世界ではありえない出来事が描かれている。たとえば宇宙人であるとか。それならば、現実としてありえない事も我々は想像出来るじゃないか、と思うのだが、実のところそうではない。宇宙人もお化けも、実は最初に作った人がいる。つまり「想像」の前例がある、ということだ。それは才能のある作家なのか、妄言を重ねた狂人なのかは分からないけど、過去、その後の我々の脳内に強く印象付けうる「前例」を作り上げた人間がいるのである。それが時を経て、形になり、私達の脳に刻みこまれ、ついにはたとえ現実に存在しない物であろうとそれは想像出来うる対象と成るのである。分かりやすく言えば、「宇宙人」というキーワードに対し、僕らはあの、俗にグレーと言われる、のっぺりとした瞳の大きい白い奴を想像する。そんな奴誰も見たことないにも関わらず、だ。

先日、ありえないものを見た。僕はその出来事を友人に話す。だが、友人は僕が思っていたような反応をしてくれない。僕が"それ"を見たときの衝撃の十分の1も伝わらない。

想像できないからだ。

おそらく多くの人が一回もその光景を見ずに人生を終える。過去、小説でも映画でも、その光景を描写したという前例は、おそらくない。

僕は悔しい。僕の言語能力が足りないばかりに、その景色はこのまま歴史の闇に埋没してしまう。それは分かっている。だが、このまま手をこまねいているわけにもいかない。たとえそれが10分の1も伝わらないとしても、僕はここに記してみようと思う。



どんな素晴らしい文学作品よりも面白いと思うものがあります。それは「自分の日記」です。日記、というものはワインと同じでちょっと寝かした方が芳醇なものになります。何年か経って、自分が過去に書いた日記を読み返す。こんな面白いことはありません。どんな小説の主人公よりも、日記の中の自分はリアルな感情を見せ、その時の喜び、悲しみ、感動をダイレクトに伝えてくれます。

このブログもおおよそ3年の時を刻み、そろそろいい感じに熟してきました。ナルシストと呼ばれてもいい。あえて言おう、自分のブログが大好物だ。

いやね、そう感じるようになったのはここ最近なのですが。このブログを書くのに一番熱を入れていたあの頃…大学の2,3年でしょうか、あの頃の自分の軌跡がちゃんと形に残っているのは、とても幸福なことだな、と思うようになったのです。別段今の生活に不満があるわけじゃないのですが、やっぱりあのような時代ってもう戻ってこないじゃないですか。あの頃の文章を読むと、なんだか「うひひ」って、楽しくなっちゃうんですよ。色々と苦しかったことも一緒に思い出すのですが、それも含めて「うひひ」ってなっちゃうんですよ。なんだ、いっぱいの苦しいことだって、時間が経てば所詮は楽しいことになるんじゃない、って。それって、当たり前の、使い古されたセリフなのかもしれませんが、それをきちんと肌感覚で味わえるのって、まぎれもない自分が書いた文章がそこにあったからこそに違いありません。

で、今日読んで、本当に楽しそうだなー、と思ったのこの記事

まあ意味もなく自転車で旅してるってやつなんですが、これは自分が読んでも(というか自分だけ)、すごく楽しい気持ちになります。ああ、最近こういうのやってないなー、と。



んんん、なんだろ最近思い出に浸るような話ばっかだ。病んでるのかなぁ。

わりっす、次あたりはギャグっぽい話しますわ。

現在、早朝の6時1分。今日は休みだっていうのになんでこんな時間にブログを書いているかと言うと。特に意味はない。あえて言うと、目が覚めたから。

仕事のある日はいつも6時にめざましをかけている。でも習慣ってたいしたもんで、僕はたいてい5時58分に目が覚める。そしてめざましを消す。どちらかと言うと僕がめざまし時計を起こしてやってる感じだ。だから、今日も休日だっていうのに5時58分に目が覚めた。最近遅くまで寝ていられない。おじいちゃん街道まっしぐらだ。

めざまし時計、といってもそれは携帯電話のアラームだ。2、3日前のニュースで現代人は7割くらいが携帯電話のアラームをめざましがわりにしていると言っていた。僕もそうである。めざまし時計の「ピーピーピー」という音よりも、着メロの方がよく目が覚める。いつも同じ着メロなので、パブロフの犬じゃないが、「この音を聞いたら朝だ。」という指令が頭に刷り込まれているらしい。

そうそう、先日カラオケに行ったときのこと。なんだか胸がドキドキするというか、ソワソワする、言いようもない不安感に襲われた。理由はすぐには分からなかったが、ちょっとしてそれが自分の着メロに入っていて、めざましに使っていた曲だと思い出した。
今からもう5、6年前だろうか、僕が宅浪(自宅浪人)をしていたころ。別に朝早く起きる義務はないのだが、勉強をしなきゃいけないので、毎日嫌々起きていた。その時の着メロであった。そうかこれをトラウマというのか。人間、意外に脆いもんだ。

余談だが、めざましテレビのお天気お姉さんだった愛ちゃんと僕は中・高・大学と一緒である。彼女、高校では後輩だったのに、大学では先輩になっていた。不思議なこともあるもんだ。

映画を二本ほど見た。雨だなぁ、外に遊びに行けないなぁ、と思っていたところに、これ見よがしにTUTAYAから半額クーポンが届いたからだ。これ、もしかして意識的にやってるのか? だとしたらすごいなぁ。

邦画ランキング!と騒いでるコーナーから適当に二本ほど見繕った。昔は難解な洋画なんかを好んで見てたけど、最近は単純明快な邦画がありがたい。週末はボーっとしたいから。

今日はブログらしく、見た映画を紹介。まあ、ランキングコーナーにあったようなものなので、「紹介」というか「感想」だけど。

まずは一本目。

アヒルと鴨のコインロッカーアヒルと鴨のコインロッカー
(2008/01/25)
濱田岳瑛太

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言わずとしれた伊坂幸太郎の原作。あえて言うけど、この人の作品はさっき言った「単純明快な邦画」まさにそのもの。こう言うとファンに怒られちゃいそうだけど、なにとぞ誤解されないように。褒めてます。僕も伊坂作品は好きだし。

要は、なかなかここまでスッキリしたエンターテイメントを作るのは難しいってこと。芸術性とか文学性は隣に置いといて、とりあえず見た人(読んだ人)が「面白い!」と感じるエンターテイメント。ごちゃごちゃ言わずに面白けりゃいい、と僕は考える。文学性なんてものはさりげなく、隠し味のごとく含ませるのがカッコイイと思うし。

伊坂作品を映画化するのは実に正解。たぶんこの人は映像ありきで文章書いてるから、すんなりと世界感が再現出来る。原作とそれが映像化されたものって、ほとんどそのイメージが合致することはないけど、「これはなかなかよく再現出来ているなぁ」というのが個人的な感想。テーマであり、主題歌でもある、ボブ・ディランはそれまでの多くの映画がそうであったように、映画との相性が異常に良い。なんだかんだで最後にディランが流れると良い映画な感じがするんだからすごいもんだ。あ、これは映画自体も良いと思うけど。


次に二本目。

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ腑抜けども、悲しみの愛を見せろ
(2008/02/22)
佐藤江梨子佐津川愛美

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こちらは「劇団、本谷由希子」の主宰者・演出家にして、作家の本谷有希子さんの原作。サトエリが「演技の出来ない高飛車な女優」って役だけど、これはハマリすぎ。てか、演技する必要あったのか、と。あくまでイメージだけど、そんな視聴者のイメージを逆取りしたキャスティングはうまい。脇を固める俳優・女優に実力派を置いたのも、サトエリのイタさを際立たせていてナイス。

本谷有希子って人はそのイタい部分が肝なんだと思う。実は一回、大学在学中にこの人と話す機会があったのだけれど、本人はそれは美人だし、話せばなんだかとても可愛らしいし、後になってこの人があんな小説を書いてるの知ったときは「イタたたた。」と感じたっけ。人から見えている自分をどれだけ繕っても、腹の中じゃ汚い、生々しい、ことを常に考えている。それは皆そう。ただそれを気付かないふりをするか、気付いた上で隠すか、気付いた上で行動にまで出しちゃうか、その違い。僕は真ん中、たぶん本谷有希子って人もそこ。行動に出来ないから、その後は文章にする。だからイタく感じる。でも心地よく感じる。


そんな週末。さて、これから一杯ひっかけてランボーでも見に行くか。悪くない。



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